プロフィール2 若年期

更新日:1月28日

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中学生の頃、2年生のクラス編成と同時に、反抗心が芽生えました。

先生に注目してもらいたかったのです。

ですが、担任は私に手を焼き、だんだんと私の居場所はなくなり、

私は音楽活動にのめり込みました。

他校の生徒と一緒にバンドを組み、キーボードを弾いていました。

母は「バンドは不良のすること。そんなのは絶対許さない」と言っており、

活動は内緒で、もしくは嘘をついて外出していました。罪悪感でいっぱいでした。

また、母は、地方で活動している友人からの私への手紙を勝手に読み、

その友人に「もう連絡しないで」と電話をしたこともあります。

私という人間への尊重は、まったくありませんでした。


学校では、あろうことか、先生が先頭にたち、私へのいじめがありました。

椅子の上に画鋲が置いてあったり、クラス全員で無視しました。

3年生になると、学校に行くふりをして家を出て、

街をふらついたり、ヤマハで時間をつぶしたりしていました。

ところが、ある日、学校から電話があり、母にそのことが知られました。

電話を切るなり、母は私に叫びました。

「嘘つきめ!悪いやつだ!私に恥かかせて!」

その後、どのような展開になったかは、憶えていません。

私は泣き、母は激高していました。

理由は聞かれず、一方的に責められて、とても悲しかったです。

その後、私は、卒業までほとんど登校しませんでした。


高校に入り、付き合ったのは一つ上の人でした。

その人は、勉強を教えてくれ、私の成績は飛躍的にのび、

いつもトップにいるようになりました。

しかし、その頃から、他人依存が始まりました。

嫌われるのが怖くて嫌と言えない、

賛同してもらえないと否定されたように感じる、

その人の機嫌をうかがう、などで自分に疲れてしまうのです。

それでも、私を見てくれる人が居なくなくことが怖くて、

自分からは別れることが出来ない。


17歳の時、原因不明の病気になりました。

時々、食後の激しいみぞおち右側の痛みに襲われました。

息もできないくらい、気絶しそうな痛みでした。

その痛みが、5,6時間続くのです。

胃カメラでも血液検査でも異状なく、

毎回、胆石を疑われ検査しても異状なく、

札幌中の病院を受診したといっても良いかもしれません。

症状のしくみが分かり、病名がついたのは、10年後でした。

胆のう機能不全。

なにかの原因によって、胆のうが動けなくなり、胆汁を溜めたまま痙攣する病気でした。

この病気の本当の原因が、自分の内面にあったと気づくまで、

それからさらに10年くらいかかりました。


大学生になっても、依存は同じでした。

しかし、ある時、そんな自分への嫌気が限界に達し、

私は夢を追いかけることにしました。

付き合っていた人とは別れ、高校時代から習っていたダンスに没頭しました。

ダンスのプロになりたい。

大学をやめて東京に行きたい。

本場ニューヨークで活躍していた経歴をもつ、

ダンスカンパニーの先生は私に言ってくれました。

「本気でやりたいなら、劇団四季につないであげるよ」

母に話すと、もちろん反対でした。

私の心配と、自分の心配。

「学費が無駄になる」

「ダメだったらどうする、ダンスでなんて食べていけない」

「私を捨てるつもりか」

そうか、私は、母を背負って生きていかなければならないんだ・・・

私は、母へのはらいせにダンスをやめました。

とても子供じみた行動です。

そこからは、複数の人と同時に付き合ったり、

それほど好きではない人とも付き合ったりと、

とにかく他人で心のすきまを埋めることの中毒だったように思います。

とても危うい私でした。