境界線を持たない人の短い物語
45歳の会社員であり、妻、母である真紀は、今日も上司の係長からの押し付け仕事で
数時間の残業を余儀なくされた。
この係長は仕事はできないのだが、いつも上手く誰かに自分の仕事を押し付け、それが評価されて昇進してきた。
「この書類、手直しして明日の朝までに仕上げてくれる?手直しだけだし、君なら
時間はかからないと思うから。僕、これから打合せがあってさ」と、書類を真紀の
デスクの上に置いた。
真紀は、定時を過ぎ、部下の仕事の手伝いを終えたところだった。
(まただわ!いつもなにかを言い訳に自分の仕事を私にやらるなんて、なんて人なの!)と内心腹を立てたが、すぐに切り替えて
「はい、分かりました。任せてください」と言い、仕事にとりかかった。
「さすがだね。助かるよ」と言い、係長はそそくさと帰って行った。
仕事をしながら、
(仕事ができる、仕事が早い、信頼できる・・なんておだてられているけど、単に都合良く使われているだけじゃない!)と腹を立てている自分がいた。
しかし、そんな自分にも嫌悪感を感じ「人に親切にすること、人の役に立つことは良いことよ」と自分に言い聞かせた。
「親切で仕事のできるチーフ」と周りから言われている真紀は、仕事をうまくこなせずに苦労をしている部下の仕事も「かわいそうだから」と手伝う。
そして、内心(いい加減、うまくこなせるようになってよ)と腹を立てることもある。
一日の仕事量は自分の分、部下の分、上司の分を合わせて2人分になる。
昔は、その仕事量も問題なくこなせていた。しかし、最近は、どうにも仕事がはかどらず、
集中力がなく、気分の落ち込みが激しくなり、なにをするにも意欲がなくなっていた。
それでも「私が頑張らなくちゃ」と、自分のお尻を叩いていた。
9時近くに帰宅すると、夫の浩介がリビングでゲームをしていた。
浩介は職場では中間管理職をしているが、家では働かない。
真紀は帰宅するやいなや、洗濯機を回し、食事の用意にとりかかった。
「遅くなってごめんね。鈴木さん(部下)の仕事を手伝っていたら、
係長から仕事を頼まれちゃって」
「・・・」
「急いでごはん作るね」
急いで用意をしていると、浩介の怒鳴り声が聞こえてきた。
「遅いよ!俺や誠也が待っていること分かっているだろ!」
真紀の帰宅が遅い時は、いつも浩介は不機嫌になる。
仕事での帰宅に限らず、真紀が友人と出かけても不機嫌になることがある。
そのたびに(私がいけないからだわ。もっと家族のために頑張らなくちゃ)と真紀は思い、
浩介の機嫌を直すために帰宅後もエネルギーを使う。
食事が出来上がり、真紀は息子の誠也を部屋に呼びに行った。
誠也は、最近またバイトを辞めた。
中学、高校といじめに遭い、高校を中退した。現在20歳でバイトをしているが、
人との関わりが苦手で、長続きせず、すぐに辞めてしまう。
「明日、ここに面接いってみようと思っているんだけど・・・」
誠也が真紀に求人誌を見せた。
すかさず、
「また、お前、長続きしないんだろ。ほんと困ったもんだな」と浩介が言った。
「そんなことないわよ。誠也だって頑張っているんだから」と真紀は誠也をかばった。
誠也は黙ってしまった。
真紀は、内心(あなたはいつもそう。誠也を侮辱しないで!)と浩介に腹を立てた。
食事を用意し、やっと席に着くと、電話がなった。
出ると、母親からだった。
真紀にとって、母親はいつもタイミングが悪い人である。
「お母さん、ごめんなさいね。今、やっと晩御飯なの」
しかし、真紀の言葉は、母親には聞こえない。
「少し話せる?私の寂しい気持ち、真紀にわかるの?いつも真紀や誠也からの電話を待っているのよ」
(またなのね・・・)真紀は、心の中で大きなため息をついた。
真紀の都合で電話を切ろうとすると、いつも、必ず母親は「私なんてどうでもいいんでしょ?」と言って、涙声になる。真紀の胸は罪悪感でいっぱいになる。そして「母親を悲しませたくない気持ち」に負けて、母親の不安や孤独を訴える話に付き合うこととなる。
聞いているうちに、真紀の心はとても重たくなる。
今夜も、そのパターンは変わらなかった。
電話を切ると、夜中近かった。食事は冷え切り、リビングには誰も居なかった。
こんな日々が、もう二十数年も続いている。
「どうして・・いつまでこんなことが続くんだろ・・」
真紀は疲れ切り、孤独で、ひどく悲しかった。
なにかがプツリと切れてしまった気がした。
家族のためを思い、母を思い、仕事の仲間や上司のために一生懸命にやっているのに
どうして私はこんなに不幸なのか・・・
食卓テーブルの上の汚れた食器を片付けながら、涙が出てきた。
問題はなにか?
真紀は自分の人生を正しく生きようとしています。結婚、育児、仕事、人間関係において、
良い結果を出そうとしています。しかし、なにかが違うのは明らかです。
「人生がうまくいっていない」のです。
「一生懸命やっているのに不幸」なのです。
誰しも、「真紀」の味わっている葛藤には覚えがあると思います。
真紀の孤独、無力感、混乱、罪悪感、そして、「自分の人生なのに、自分の手に負えない」
という感覚。
真紀の葛藤を理解することは、あなた自身の葛藤に光をあててくれると思います。
真紀の問題の解決策にならないことは、3つあります。
第一に、いくら頑張っても解決になりません。
第二に、恐れから親切にしても解決になりません。
第三に、他人のために責任をとってあげても解決になりません。
真紀は、他人の感情や問題の面倒を見るのは上手ですが、実のところ実らぬ努力、恐れからくる親切、過剰な責任感によって自分の人生は「みじめ」だと感じています。
真紀は、何が自分の責任であり、なにがそうではないのかを区別することに苦労しています。正しいことをしたい、親切でありたい、摩擦を避けたいと願うあまり、本来自分のものではない問題をいつも引き受けてしまっています。
母親の慢性的な孤独感、上司の無責任、部下や夫の未成熟さ。
そして、真紀が「ノー」と言えずにいること(境界線がないこと)が、息子にも大きな影響を及ぼしています。
私たちの生活の中での「責任と所有権」の混乱は「境界線」の問題です。
家を所有している人ならだれでも自分の所有地の周りに物理的な境界線を引くように、
私たちは精神的、身体的、感情的、霊的な境界線を人生に引く必要があります。
真紀の数々の葛藤にみられるように、適切な境界線を、適切な時に、線を引くべき人との間に引けずにいると、大きな害をもたらすことになります。
では、「境界線を引く」ということについて、疑問がでてくると思います。
例えば
・適切な境界線とはどういうものか
・境界線を引きつつ、愛のある人でいられるのか
・誰かが私の境界線のせいで怒ったり、傷ついたりしたらどうするか
・境界線を引こうと思うと、罪悪感や恐れを感じる
・境界線は自己中心的ではないか
境界線についての間違いは、人生のおける様々な問題と大きくかかわっていることはもちろん、うつや不安障害、依存、などの臨床心理学的な多くの症状の根底になっていると言われています。
今後のブログでは、境界線はどのように作られ、どのように損なわれ、どのように修復され、どのように用いるのか、などを短い物語も交えながら紹介していきたいと思います。
石垣島
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