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境界線(バウンダリー)という大原則4


境界線とはどういうものか


「境界線の内側にはなにがあるのか?」1


真紀の物語


真紀は、職場で新しいプロジェクトを任され、今日は午後一番で、部下数名と取引先の担当者へのプレゼンを行うことになっている。朝からあわただしく、少し緊張していた。お昼休憩になった途端、真紀の携帯が鳴った。友達の朝子からだった。少し気が重たい。

「もしもし」

「真紀?聞いてよ。もうほんと信じられない。うちの旦那、浮気していたのよ。私、どうしたらいい?ねえ、話し聞いてよ。お願い」

朝子が息もつせぬ勢いで話し出した。

真紀は、お昼は早めに切り上げて、プレゼンのために集中したかったが、

朝子はとても動揺しており、助けを必要としているのは確かだった。

「いいわよ。付き合うわ」

(真紀は内心、長電話にならないように祈っていた)

朝子は、旦那やその相手への怒りを吐き出すように話し続け、やがて泣き始めた。どんどん時間は過ぎていった。真紀は、焦りを感じ朝子に伝えた。

「朝子の気持ちは分かるわ。切ないわね。もっと話を聞いてあげたいけど、これから仕事の準備があるの。もう電話切らなきゃ」

「酷いわ。こんな悲惨な私にどうしてそんなことが言えるの?真紀は自分勝手よ。お願い、もう少し話をきいてよ」

「わかったわ。ほんとにもう少しだけよ」

(そうよね、朝子はとても傷ついているんだもの。仕事を優先させる私は、自分勝手だったわ)

その後も、朝子の話は堂々巡りで、自分がどれだけ傷ついたかや、旦那がどれだけ酷い人間であるかを話し続けた。

とうとう、お昼休憩終了の音楽が鳴った。

部下たちは、すでに資料を準備して会議室で待機している。

(まずいわ、早く切らなきゃ)

「朝子、ごめんね。もう切らなきゃ」

「真紀、あなたもなの?あなたも私を見捨てるの?」怒りをあらわにする朝子。

「そうじゃないわ。もう仕事が始まるのよ。ごめんね。また話し聞くから」

真紀は、朝子の反応を待たずに電話を切った。

そして慌てて会議室へと向かった。

慌てていたために自分が用意した資料をデスクに忘れてきた。

そしてなぜだかモチベーションが下がっていた。そして、集中力が欠けていた。プレゼンは散々な結果だった。失敗だった。

(なんということなの。朝子を励ますことができたのは良かったけど、プレゼンは失敗だった。朝子さえ電話してこなければ、いいえすぐに電話切ってくれれば、こんなことにならなかったのに。朝子のせいだわ。それにしても朝子は、いつも問題を抱えているわ)

内心、真紀は朝子を恨んでいた。



多かれ少なかれ、どこかで聞き覚えのある話ではないでしょうか?

善意で他人のニーズを満たしてあげようとするものの、その人はあなたが与えるつもり以上のものを要求し、私たちは自分に必要だったものまで失うことになり、怒り、恨みがましく思ってしまう。

これでは、どちらにとっても有益ではありません。

このような状況を避けるために、境界線の内側にはなにがあるのか、私たちは何に関して責任を負うのかをよく知る必要があります。



感情

心が傷つけられたと言ってお互いに責め合ったり、何年ものあいだ感情を押し殺してきたために自殺未遂に至ってしまった人がたくさんいます。

私たちは、自分の感情を「所有」し意識しなければなりません。

あなたが感じる感情で、人間関係や人生がどのような状態にあるかを知ることができます。

うまくいっているのか、問題があるのかが分かります。

ここで大切なのは、あなたの感情はあなたの責任下にあり、あなたがそれを所有し、あなたの問題として扱わなければならないということです。

それによって、問題が何であれ、それに対する答えをあなた自身で探し始めることができます。

(簡単な例)

よくある間違い→あなたが私を怒らせた(自分の感情の責任を他人に転嫁している状態)

                  (これでは、問題の解決になりません)

正解→あなたが●●をした。それに対して私は怒った(感情を所有している状態)

   だから、あなたに●●をやめてほしいと伝えたえる(問題に対処)



態度と信念

態度とは、なにかに対するあなたの姿勢であり、他者、神、人生、仕事、人間関係などに対してあなたが取る立場に関わるものです。

信念とは、なんであれあなたが真実として受け入れているものです。(世界観、観念、バイアスなどの言い方もあります)

多くの場合、私たちは不快感の原因が自分の態度や信念であるとは思いません。むしろ、他人のせいにします。

私たちは、自分自身の態度と信念を自分のものとして所有する必要があります。

態度と信念は、私たちの境界の内側にあるものであり、その態度と信念の影響を受けるのは私たち自身であり、同時に唯一それを変えることができるのも私たちだけだからです。

態度に関して難しいのは、私たちはそれを人生の早い時期に習得してしまうことです。

態度によって、自分がどのような人間であり、どのように機能するかが大体決まります。

態度や信念を変える第一歩は、自覚することだと言えます。



境界線の内側にあるものは、まだまだありますが、今回はここまでです。

まだ次回、続きをご紹介していきたいと思っています。

よろしかったら、ご覧になってください。



                石垣島 シーサー




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