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プロフィール6 変化期

更新日:2021年1月28日



セラピストとして開業したのは良いのですが、

なかなかクライアントさんは来ませんでした。

生活は苦しかったです。

ですが、まだ自分を取り戻す途中でしたので、

副業はせず、とにかく自分や状況と向き合いました。

共依存の母子関係、母の強い被害者意識、私への依存、過干渉、

機能不全だった幼いころの家庭、私自身の他人への依存、

強い自己否定、罪悪感、自己喪失・・・挙げるときりがないほどでした。

師匠からも「理不尽について」理解するようアドバイスを受けました。

怒りは、理不尽な扱いを受けたことを教えてくれる、

大切な感情です。

ですから、まずは、自分を大切にするということ、について

出来ることから実践していきました。

依頼のない日は、毎日そんなことをしていたので、

母には「仕事もせず遊んでいる」ように見えたのでしょう。

母は、年金から生活費をいれてくれていたので、尚更、私が歯がゆかったのです。

毎日「遊んでないで働け!」と言いました。

ひどい時には「私の金で買った米だ!お前は食うな!」と言い、

私の茶碗を割ったこともあります。

次第に、母の理不尽さに気づき、

抑圧されていた私の感情が溶けはじめ、怒りを感じるようになりました。

訳もなく怒ったり、母の言葉に怒りを感じ母に言い返したり、

今まで家族の間で起こったことを思い出して怒ったり、とにかく怒っていました。

母は「今まで、親に口ごたえなんかしなかったのに、お前は変わった」

と言いました。

「口ごたえではなくて、私の意見を言ってるだけ」

母には、私が自分の意見を言うことが、母を否定しているように

感じられたのです。

母との共依存の関係性が、壊れ始めました。


私の状態が変化するとともに、母も変化していきました。

更に私を攻撃し、服従させようとしました。

一度は、私は母につかみかかられ転倒し、意識を失い、

救急車で、脳外科へ運ばれました。

それでも、母は自分を正当化し、絶対に謝りませんでした。

「私を怒らせたお前が悪い。そうなったのは自分のせいだ」

そう言いました。

幼い頃から理不尽を正当化されていると、

ものの見方がゆがめられ、

自分の側からみた正しさ、自分の物差しというものが作れません。

私もそうだったのですが、そこにはいつも、「言いようのない感情」

がありました。

それは「理不尽を正当化され、押し付けられた怒り」だったと気づきました。

毎日、毎日、母と私は激しい言い争いをしていました。

母は、つねに私を責めていましたが、私がそれを受容せず、

自分の正当性を主張するようになったからです。

時には、否定されたと感じた母が、怒りで私に暴力をふるい、

中学生の息子が止めに入ることもありました。

すると、母は今度は息子を憎々しい表情で責めました。

「お前は、この女の味方なのか!裏切者!小さいころ、

お前を世話してやったのは誰だと思ってる!」

息子は、その状態の母は相手にしませんでした。

この頃は、私も母も本当に、人間ではなかったと思います。

母のひどい責めと、暴言、ののしり、経済苦で、

生きるのが辛くなり、何度も死にたいと思いました。

朝が来ると、生きて目が覚めたことを呪いました。

どうして私の人生はこうなのか、と神様に怒りました。

同時に、助けをもとめていました。


そんな中、私はセラピストをしながら定職につくことにしました。

しかし、勤務開始日まで決まり、内定した会社が突然、内定取り消し。

理不尽な扱いに対して簡易裁判を申し立て、

そして、ローンの支払いが出来なくなったマイホームの競売が決まり、

母の突然の入院。手術。

定職に就いてないため、引っ越し先も決まらず、

競売の日は近づき・・

立て続けに、いろんなことが起こりました。

家族全員が路頭に迷うかもしれない、

ホームレスになるかもしれない、

不安と恐怖でいっぱいでした。

私は、2度目の離人症になりました。

そして今度は、うつ病も併発してました。

「今日、帰ったらダメ。すぐ入院しなさい。あなた、重症だよ」

という医師の言葉。でも従いませんでした。

「こんな時に入院なんてしていられない」


母は、退院してくると、毎日、

「こんなことになったのは、お前のせいだ」

「仕事もない、家もなくなるで、どうするのさ!」

と言っていました。

自分だけが頼り。

自分を信じていこうと決めました。

「文句ばかり言わないで、私に任せて」

不動産屋さんや、知人に相談し、なにか良い方法がないか考えました。

数少ない親戚に電話をし、競売になる私の家を買い戻すための

お金を貸してもらえないか頼みました。

貸してはくれませんでした。

しかし、最後の一人、従兄が、

「お前が仕事に就いたら、俺が買うことにして住宅ローン組んでやる」

と言ってくれました。

その従兄は、現在2つの会社の社長です。

高校生のころ、当時社長だった私の父に学費を出してもらい、

父の会社の寮に住まわせてもらったことを恩に思っていました。

会うたびに「お前の親父には、足向けて寝られない」と言っていたのです。

従兄の返事をもらったのと同時期に、知人から

「今度、営業所を立ち上げるので、事務職で働かないか」と誘いがありました。

奇跡でした。


私は、会社員となり、従兄が住宅ローンを組んでくれました。

競売になった、住んでいた家は業者が落札し、買うことが出来ませんでしたが、

中古の家を手に入れることが出来ました。

うつ病も離人症も治りました。

人生の歯車がギシギシと回りだした感じがしました。



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