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プロフィール4 激動期

更新日:2021年1月28日



DVから助け出されて、落ち着いた生活を取り戻した私ですが、

300万の借金の返済が待っていました。

複数のサラ金だったので、毎月20万近い返済でした。

仕事をしても、お給料が入った翌日には全部が返済に回ってしまいます。

足りない部分は、母に内緒で父が払ってくれました。

申し訳なさと、情けなさ、

払っても払っても残債が減らない絶望感でいっぱいでした。


数年たち、ある人と結婚しました。

穏やかで、正直な人でした。

私の借金のことも話し、一緒に返していこうと言ってくれました。

息子を妊娠し、私の両親と同居を始めました。

私の返済があるので、少しでも、出費を抑えるためでした。

ところが、この頃から、母の言動が変わり始めました。

毎日、夫のあら捜しをし、ことあるごとに指摘し、責めました。

母は「お前のことを思うから言ってる。もっとしっかりしてもらわないと」と言いました。

これは、母の愛なのかとおもいましたが、

夫が責められているのに、私が平気なわけがありません。

母に、やめてというと、今度は私が「お前は私を裏切るのか」と責められました。

父も、母を制しようとしましたが、父も責められました。

毎日が、母の暴言、夫へのこき下ろしともめごとでした。

「母は、私が苦しいことに気が付かないのか」

「私が苦しいのに、なぜ私のためなのか」

色んな思いを抱えました。

母の行為や、家族の不和が悲しくて、たくさん泣きました。


夫の両親のすすめもあり、私たち夫婦は私の実家から出ました。

といっても、距離的にとても近くでしたが。

平和な生活が少しできるようになりましたが、

依然として、母の安定はありませんでした。

面と向かって夫へ暴言は言えなくなったわけですが、

今度は、私と顔を合わせる度、夫の小言を言うようになりました。

そして、母は、その頃から精神科に通院するようになり、

抗うつ剤と安定剤、睡眠薬を飲んでいました。「お前たちのせいだ」と言っていました。

睡眠薬を飲んで更にお酒を飲み、夜中にふらふらになって

私たちの家にやってきました。

週に2,3回ある夫の夜勤の度にです。

ドアを開けたくありませんでしたが、開けるまで鳴らし続けました。

母は、ろれつが回らない状態で「私をどうするつもりだ。捨てるのか」

と言うのです。そして、ひとしきり夫の悪口を言い、

「そんな人と結婚したお前も悪い」と私を責めました。

私は、毎回、「大丈夫、心配いらないから。ちゃんと面倒みるから」

と言い、なだめ、安心させました。

そんな日々が数年続き、借金も返済が終わりました。

私たちは、家を買いました。

両親と同居の家です。

私にとって、マイホームは、幸せの象徴でした。

家を買ったらすべてうまくいく。

両親も喜んで、安心してくれる。

母の不安もなくなる。そう思いました。

しかし、引っ越しして間もなく、父が亡くなり、

一人残された母は、以前にも増して狂暴になりました。

普通の時もあるのですが、なにかをきっかけに、

顔つきが変わり、なにかに獲り憑かれたかのような

得体のしれない恐ろしい空気を感じさるのです。

母ではなく、別人のようでした。

夫につかみかかり、時にはものを振りかざし夫を傷つけようとし、

私が止めようとすると私を攻撃し、暴言を吐き、罵声をあびせ、

「腹が立つなら、私を殺せ!殺せ!」と叫んだり、

夫や私を口汚くののしりました。

手に負えなくて、何度も警察を呼びました。

ある時は、私の誕生日でした。

警察は、母の様子をみて「精神科の先生に相談してみたら」と言いました。


この家族の悲しい状態を、息子も見ていました。

「どこのおうちもこうなの?」

小学生だった息子もボロボロ泣きました。

私も息子を抱きしめて泣きました。

ほんとに悲しかったです。

悲しみで、心が壊れてしまう気がしました。


いつか、家族の誰かが刺される、殺される、

私は、誰かの血が流れる前になんとかしなくては、

と思いました。

でも、どんな状態であっても、

母と離れることは出来ませんでした。

母と離れることは、自分の一部を切り取られるような気がしたのです。

私は、離婚をしました。


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