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プロフィール8 昇華期



退職してしばらくは、「会社員ではない私」に妙な違和感がありました。

10年間続けてきた習慣的、自動的な生活が、自発的に動かなければなにも起こらない

という状態になり、戸惑いました。

雇用されて労働していないことに罪悪感を感じ、失業手当は貰っていたものの、

安定した収入がないことを不安に感じ、

自分を大切にするために退職した自分は間違っていなかったこと、を何度も確認しました。

息子は自活し、母はホームへ入り、一人暮らしとなり

会社員という肩書もなくなった私は、

いったい私は誰なのか?

私が空っぽ、

誰かいないと、自分が認識できない、

身体はあるけど、自分がいない、

という気が狂いそうな虚無感に襲われることもしばしばでした。

これは、母との共依存で、自己が確立できなかったための副産物で

「自己喪失の病」と言われている状態でした。

現代の心理学では、自己を喪失している場合、獲得するのは、

非常に困難だと言われています。

自己は、自己同一性とかアイデンティティーとも言われています。

自己が確立されている場合は、自分を認識する脳と、

エネルギーの身体(存在そのものが宿っている部分)との間で

自分について同じ認識を共有しているから、

バランスが保たれていると、私は理解しています。

ですから、自分であることが揺らぎません。

ですが、自己を喪失している人たちの中でも、

社会的な立場、役職、職業をアイデンティティーと勘違いし、

違和感なく生きている人も多いです。

しかし、本来の自己同一性、アイデンティティーとは、外側にあるものではありません。

改めて、共依存の恐ろしさ、残酷さを思い知りました。

子供の人生に寄生し、子供の代わりに子供の人生を生きようとする親。

それが愛だと疑わない親。

それによって、生きる力を無くし、自己も失う子供。

その子供が行き着く先は・・・

子供に依存する親にも悲しい理由があるのですが、悲しい連鎖です。

このままではいつか死ぬしかなくなる、

私は、自分の生存に関わる危機を感じました。


まずは自分を整えました。

食べることは生きる基本、おなかを満たすということではなく、

食事を自分のために丁寧につくり、盛り付ける。

そして、丁寧にいただく。

身だしなみを整える。

心を動かし、身体に聞き、自分が魅力を感じる物や行動、風景を

探しました。

いままでおろそかにしてきたことに、光を当てました。

「自分は価値のある人間である」ということを、

自分で自分に証明するということです。

そして、それは、同時に宇宙への宣言でもあります。

毎日それを続けるということは、とても大切なことです。

整えが身についた頃、むしょうに家の中の整理をしたくなりました。

家中のあらゆる場所、扉の中を開け、整理しました。

内面を整えることが出来るようになって、次の段階として外面を

整えたくなるというのは、当然といえば当然です。

そして、また自分の内面と向き合いました。

これは、とても大変な作業でした。

過去の出来事を整理し、感情を解放し、そこでの学びを確認し、

観念を手放す、という繰り返しです。

時には心に聞き、時には自分で催眠をかけ潜在意識とつながり、

絶望し、打ちひしがれ、また気を取り直し、一歩一歩すすむ。

とても途方もない気がしました。


数か月たち、その作業が終わろうとしているころ、

一本のみちが見えたのです。

私が体験してきた出来事のすべてが、今の自分につながっている

一本の上り坂だったことに気づきました。

その瞬間、「そうか、私は、この私だ」という強烈な一体感を

感じました。

私という乗り物(肉体)に安心して乗っている、という安らかな気持ち。

そして、信頼と価値感。

社会的な立場や職業、地位など必要としない、「絶対的な私」という感覚。

私は、自己を獲得していました。



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