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判りにくい虐待


暴言や暴力の虐待は判りやすい。

周りからも、見えやすい。

でも、共依存や、家の中に心を病んだ人がいて

面倒をみなければならない、

など、周りからも本人も判りにくい虐待も

あるということを知ってもらいたい。

その場合も、暴言や暴力に負けないほど有害だ。

そして、そこで作られた世界観は、

大人になっても当人の人生を支配する。


ある日、30代の女性クライアントМさんが

やってきた。

とても疲れている様子だった。

Мさんは地方から札幌に出てきて、就職した。

今は、一人で暮らしているという。

「母が体調悪くて、毎週電話が来るんです」

Мさんは言った。

「母さんが具合悪いから、様子をみに来てくれ」

父親は言う。

Мさんの実家は、札幌から600キロ離れている。

Мさんは、初めのうちは、電話がくると遠く離れた実家に、

月に1、2回は母のために帰省していた。

しかし、帰省すると母は元気で、

わざわざ600キロ離れた札幌から帰ってあげたことにも

感謝するわけでもなく、友達の陰口や父への不満をМさんに聞かせるのだった。

そして、30歳にもなったМさんの人生に口を出し、

あれやこれや指示をするのだった。

そんなことが続いたので、Мさんは帰省するのが

嫌になった。

「忙しいから帰れない」とМさんが言うと

「親が心配ではないのか?親不孝ものめ!

さんざん親に世話になっておいて、母さんが具合悪いというのに

顔も見せないのか!!」

と父親は怒鳴った。

すると、母が電話を代わり

「いいのよ、私のことなんて。あなた忙しいんでしょ?

自分のこと頑張りなさい。私のことは気にしないで」

と言って、泣くのだった。

それが毎週のことだった。

「私、気が狂いそうです」

Мさんは、力なくそう言った。

Мさんの両親は、「親であることを隠れ蓑に」

Мさんが「自分のために自分の人生を生きること」を責めていた。

親不孝なことだと。

いけないことだと。



似たような事例はたくさんある。

これは、精神的虐待だ。

人として行ってはいけない。犯罪だと思う。


私は、このような、見えにくい虐待の中にいる人々や

その状況を脱してもなお、人生を縛られて生きづらさを

抱えている人々を支援したいと思っている。

もちろん、暴力や暴言、DV、性的虐待を受けている

人々も。


人間には尊厳がある。

絶対に守らなければならないもの。

そして、侵してはならないもの。


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